「全て」の先にあるような何か、そんな何かを求める
ことの面白さを考えることが私にはある。
「あるもの」を追い求めることで、
そのものの姿や形、輪郭が、必ずしも分かる
わけではない。
何故なら、追い求めているそのものが、
逃げ水のように消えてなくなったり、追い求めている
そのもの自体、存在しない可能性もあったり
するからである。
「言葉」に限ってみても、それは言えることのように思う。
だとするなら、逆手をとって考えることも
出来るようにも思える。
例えば、どこかに「あるもの」の存在を示すような何かが、
落ちているとする。
それが「あるもの」の存在を示すような根拠であるのであれば、
それを元に、何らかしらの別の新しい考えや構想を練ることは出来るよう
に思う。
この時、その「あるもの」を前提として、
理論の構想を練るわけだから、その「あるもの」が
存在しているということを、あらかじめ認識していないと
いけない。
ただこう考えたとしても、
「あるもの」そのものが、必ずしも存在している
とは限らない。
結局どちらにせよ、「あるもの」そのものには、
触れることができないのかもしれない。
もしそうだとするなら、こうも考えられないだろうか?
例えば、「あるもの」が存在しているとする。
この時、そのものと「別のあるもの」も存在している。
この時、「あるもの」と「別のあるもの」の間に区別があるとするならば、
その二つには何らかしらの違いが存在している。
違いが生じるということは、その二つの間には、
その差異を媒介とした何らかしらの繋がりが生じるのではないか?
仮にそうであるならば、
「あるもの」と「別のあるもの」の間に生じる何らかしらの繋がり、
この繋がりを手掛かりにして「あるもの」や「別のあるもの」の輪郭や
手触りを探るような、そんな言葉や物語が紡げないだろうか…?
こんなふうに、
「ダーウィンの進化論」や「ニュートンの重力理論」のような、
ある学問領域を完全に支配できてしまう言葉より、
誰かと誰かが分かり合えるような、何かと何かのつながりを
示せるような、単純な理屈やアイデア、そんな「魔法のような言葉」を
私は探している。
