「人に対する優しさがある」と言われるのが、私には嬉しい。
私にとって、「人ごととは他人ごと」で無くなってしまう。
それは、私の幼少期の頃からの癖らしい。
幼少の頃は、不安や焦燥感が強く、何をやるにも緊張を強いられた。
何をやるにしても人より出来たのだけれど、
おそらくそれは、友人や、知人がとても出来たからのように思う。
私は、そんな彼らの活躍につられて、
彼らの真似をする事が多かった。
何にでも興味があり、学ぶ事が好きな幼少期だった。
人の恋しさ、愛おしさ、それは大人になってみると
理解できるのだけど、当時は「今という瞬間に夢中」になっていて、
自分自身の事にしか関心が向かなかった。
昔の記憶を辿ってみると、今生きていることで感じる感覚よりずっと
幼さが残ったまま、そのままで良いと思っていた。
友と過ごした時間は、「大切なものが得られた」との思いと同時に、
「何か、かけがえのないものが消失してしまう感覚」が残り、きっと、多くの人が
そうなのだろうと自分自身に言い聞かせていた。
私自身にとって、失ってしまったものは、
もう二度と取り返しがつかないような感覚が生じていた。
それは、学問に没頭するとか、趣味に打ち込むとか、
そのような事で誤魔化せるようなものではないと私の心は
感じていた。
「大切なものとは、どこにどのように存在するのだろうか?」
そんな問いが、自分自身の心に芽生えたのは、そのような契機からだろう。
私は、「人の心」に触れるたび、自分自身の心の内から
消えてしまった「明かり」がふと、垣間見えるような気がして、
その「明かり」を消してしまわぬよう、そっと包み込む事が
出来ればなぁと感じるようになった。
そうして、人の心を大切に扱おうとしていると、自分自身の心のうちにも
その「明かり」が戻っている事に気づいた。
「友情」とは、おそらく両義性をはらんでいて、
扱う事がとても難しい。
けれども、人と人との間になくてはならないものである。
今の私だったら、当時の彼や彼女と、どう接するだろうか?
そんな事を、昔の自分が今の自分に問うている。
