どこの誰が見ても「全く同じである」と
言えるものとは、あるだろうか?
色や形、時間や空間、その認識や決まりごとが
全ての人にとって等しく成立するのは、私たちが私たちとして
存在しているからだろう。
この時、全ての人が同じように色や形、時間や空間、
その認識や決まりごとを感じ生きているなら、
「同じものとして成立しているものの中身」は、
全ての人にとって「全く同じもの」のはずである。
その「同じもの」として存在している現実、
その現実を私たちが生きていると言える時、
私たちは、空想上の現実を生きているわけではない
のだろうと思う。
今、ここに確かに存在している現実が、
一人一人の人生上の時間や空間を担保している。
しかし、ある人の人生や物語が、ある人から見ると
全く違う人生や物語であるように、「この世界」から受け取る輪郭や印象が、
人によって異なってしまうのは何故だろうか?
ある人にとって、夕日は憂鬱であり、ある人にとって、
夕日はかけがえのない思い出の景色であったりする。
ある人にとってとても退屈な映画が、
ある人にとっては、幸福な時間を過ごすために
必要な材料であったりする。
小さな感覚の差異によって生じる認識の違いが、
この人生という物語を紡ぐとても大切な「鍵」で
あったりする。
「現実と認識」、その間にどれほど大きな乖離があったとしても、
それを確かめる術は、私たちに多く、存在しない。
もし仮にそうであったとしても、
確かな輪郭と手触りとして存在している「この現実」を知る術は、
私たちにどれだけ残されているだろうか?
「この世界が存在している」、そう感じる私自身の認識とは、
どこまでが正しく、どこまでが間違っているだろうか?
今日、ゆっくりと過ぎていく日常が、
こんなにも暖かく感じられるのは何故だろうか…?
