音楽や本や映画などの内に存在している、
たくさんの人の考え方に触れてみる。
すると、世界の見方や世界と触れた時の感覚が、
人によって、異なっているという事に気づく。
その世界の見方が正しいとか正しくないとか、そのような事より、
「何故、こんなにも世界の見方が異なるのだろう」という事に
私の関心は向く。
私の一生をかけても、世界の全てを味わう事は、出来ないだろう。
味わい尽くす事のできない世界だからこそ、
これだけたくさんの人が存在しているのかもしれない。
人というのは、「様々な世界」に触れ、
その中で多くの事を感じ、思い、考えながら成長する。
この「触れている世界の違い」が、
これだけの感覚の違いを生んでいるのだろうか?
視点の違いや考え方の違い、その事に触れるという事は、
その人にとっての「大切なもの」に触れるという事かもしれないな、
と近頃私は思う。
逆に、「私という視点」で、私の人生という物語がスタートしている
意味や目的というものがあるのだろうか?
私が五感を通じて、感じたり、思ったり、考えたりした事、
それは私のみが体験出来る「私にとって特別なもの」である。
私は、この世界を通じて学び得た事の意味や理由を、
どうしても求めてしまう。
今現在、「世界が存在している事の意味や理由が未解明」だから
といって、その事が、科学的に解明される日が来ないとも限らない。
「何故、この世界は存在しているのか?」、それが解明出来る日が
来るのであれば、それは、とても面白い事だと思う。
そして、人類が永い年月をかければ、いつか、
人生における意味や理由も、科学的に解明できる日が
来るかもしれない。
もちろん、人生における意味や理由が「全く存在しない事」が、
解明される可能性もある。
この時、「個々の人間として生きているという事」、
「考え方や価値観が別々であるという事」は、果たして、
どのような意味を持つものなのだろうか?
何故、人としての一生とは、かくも違うものなのだろうか…?
