自分自身の力になったり、その事によってへこんだりするもの、
それが、私にとっては、人から受け取る気持ちであったりする。
昔、といっても小さな頃は、
人の気持ちの一切を無視していた。
いや、無視していたというより、単純に行動の基準になりえなかった。
何故かというと、その事は自分自身の人生上の出来事に、
一切影響を及ぼさないと思っていたから。
人の気持ちなんて、物理的な法則以上の運動性を帯びていないと…。
ただ、「何故、彼や彼女はそういう行動をとるのだろうか?」
という事に知恵を絞ると、相手の考えている事や相手の持っている
気持ちに気づいたりする。
「ああ、あの時言った一言が、彼や彼女を傷つけていたなぁ」
なんて事が分かったりすると、もう二度とそういう言動はしないように
しようと思えたりもする。
様々な人生を送っている人達が、様々な事を感じ、思い、生きている事から、
相手の事を思ったり、考えたりする事は、余計難しかったりする。
また、人ではない動物やものと、気持ちの交換が出来る事もある。
ある一つの出来事に対する受け取り方も、
千差万別で、その事自体一つの出来事に対しても
様々な見方が成立する余地を残す。
例えば、ある人が、どういう理由かは分からなくとも、
困っていたとする。
「勇気を出して、彼や彼女に声をかけてみようか」とか、
逆に、「何もしない、そっとしておく事が優しさなのか」とか、
考える事もある。
私は、極端に人の気持ちを察するタイプでもある。
相手の気持ちに配慮した結果、
身動きが取れなくなるという事も良くあったりする。
どのような人がどんな状況で何を思っているのか、
それが分かる様な仕掛けがあるとすれば、どのような事を
その問題の解決の材料とするのだろうか?
また、そんな仕掛けがあったとして、何をどう考えた時に、
たくさんの人々にとって最も良い結果が生じると考えるだろうか?
困難な状況に置かれた人の気持ちを、どの様な形で、
どう扱うべきか、とても大切でとても難しい事でもあると感じる。
もし、今の私だったら、人の気持ちに、どう接する事が出来るだろうか?
「本当の優しさ」とは、何処にどのように生じるのだろうかと、
考えながら…。
