本を読むという行為は、私にとって、とても楽しい。
さまざまな知識を得られるという事以外にも、
読書の効用はたくさんある。
自分自身を律したり、息抜きをしたり、
はしゃいだりする時にも、読書というものは使える。
また、読書をするという事は、その本の著者に触れる
という事でもある。
その本の著者の思想はもとより、生き方や考え方の癖、
その人の性格など、沢山の事がその人の持つ文章には表現される。
その中で、その著者の作品を好きになったり、嫌いになったり、
それだけではなく、こんな考え方をして良いんだとか、こんな生き方を
している人がいるんだとか、私は特に、自分自身の生き方に関して
とても参考になる事が多い。
ある作品とその著者に触れるという事は、
かけがえのない貴重な「一期一会の体験」のようにも思う。
特に、私の好きな著者の型(タイプ)は、
「困難な人生を自分自身の力で切り開いてきた」というような人物が
多いような気がする。
また、「型にはまらないような自由な発想をする人物」の作品も
多く、私の元には存在しているのだから、おそらくそのような人物も
私は、「好きなのだろうなぁ」と感じる。
私は、その人が失っていたり、その人に欠けたりしている部分に、
その人の持つ本質的な特徴があるのではないかと考えたりもするのだけれど、
物を書くという事自体、何かを補填する(何かを失ってしまった悲しみなどを
埋めたり癒したりする)行為にも思える。
その失った悲しみを補填するような作用に
自分自身が巻き込まれたり、強く影響を受けたりするような時に、
その人の作品にはまったり、のめり込んだりするのかも
しれない。
そして、その作用は本の読者にも影響を
与える印象も受ける。
特に、悲しみを乗り越えたり、癒したりするという事に
読書というものが有効であるのは、そのような理由からではないかと
私は思っている。
故に、その事が強く表れる人物の作品に、
多くの読者が惹かれるのかもしれない。
作品の好みは、人それぞれだろうと思いもするのだけれど、
沢山の作品に触れる中で、自分自身にとって最も大切な作品にも
出会えるかもしれない。
そしてそれは、親しい友人を得るくらい貴重な経験だと、
私は考えている。

