考えるという行為と素潜りは似ている。
何かに没頭し、ある物事を理解し、
何らかしらの結論を得るまで試行錯誤する。
もし、その一連の行為を頭の中で行うのであれば、
それは考えるという行為だろう。
考えるという行為を行なっていると、
特に何かを理解しようと頭を目一杯使うと、
頭の中のどこかがとても疲れる。
疲れを癒すために出来る事は、
健康的な生活と「特に睡眠だろう」と思う。
また、徐々に徐々に考えるという行為を行なっていかないと、
考える事におぼれてしまう危険がある。
「考える事におぼれる」とは、考えすぎて気疲れしてしまったり、
考えすぎて、現実に戻って来られなくなったりする事である。
「考える事におぼれる」とは、海に深く潜って足をさらわれ、
自分自身の身に危険が及ぶ、そんなイメージでもある。
私自身、ある年の頃、あまりに深く悩みすぎ、
その事がきっかけで溺れかけ、現実に戻って来られなくなる寸前で
何かに助けられたという経験をしている。
深く悩む事と、深く考える事とは、
厳密には少し異なる事ではあると思うのだけれど、
それ以来、あまり深く悩みすぎない、あまり深く考えすぎない
よう訓練してきた。
それでも、数学などの学問を考えるには十分だった。
私が、真剣に物事を考える時には、
考える時に頭に加える圧力や考える時間を
うまく調節する。
具体的に、深く潜る(思いきり頭に圧を加える)時は、
1日に1時間を限度として、それ以上は深入りしない。
また、根を詰めていて、深みにハマりそうだなと思った時は、
それ以上の探索を極力避けるように、自分自身を仕向けるなどの
工夫をしている。
たくさん考えて、考え抜いた後には、
物事の理解が深まったと思う瞬間が多くある。
深く潜った事で、感じた事や思った事、考えた事は、
得難い経験の一部でもあるから、その事を忘れないように
メモとして残してもいる。
私は、たくさんの記憶の中から呼び出してきた
アイデアや発想を確認し、整理する時間、それを特に
大切にしている。
一度考えるという行為が出来てしまえば、
自分のペースで考える事が出来る。
「考えるという行為」は、とても楽しい事だと、私は思う。
ただし、「考えすぎないよう、用心しながら」。

