算数や数学の公式のどこにどのような仕組みがあるのか、
それをなんとなく考えてみると、ほとんどの場合、なんらかしらの
値や記号が、入れ替わり繰り返されるような、定型的なパターンが
存在していることに気づく。
誰がそのような数学的な仕組みに初めに気づいたのだろうとも思う
のだけれど、おそらくそれは多くの場合、数学を考え、研究してきた人たちが
歩んできた歴史の集積によるものである。
数学的なパターンとして把握できるような構造は、
ありとあらゆるところに存在している。
そのパターンを抽出して数や数式として扱うことで、
その決まったパターンの意味を取り出せるようにしたものが、
数学という学問だろうと思う。
意味として取り出せるようになった数学的な構造は、
たくさんの人によって共有することができる。
また、多くの場合、たくさんの人の手によって
改良を加えることもできる。
世界とはとても広いので、数学的な構造として把握されているパターンは
ごく少数で、誰も気づいていないようなパターンが、今も、あらゆるところに
存在している可能性はあるように思う。
ある人の見立てや考え方が、劇的に世界の見方を変えてしまう
といったことも、数学や科学の世界では起こるので、そのこと自体
この世界に生じる構造が全ての人にとって、当然のことのように把握されている
わけではないことの証拠でもある。
私はよく、「森羅万象、この世界の意味や仕組みの理解や把握が
できないだろうか」と考えもするのだけれど、数学を研究している人は
どのようなことを考えて、その意味や仕組みを求めたのか、それがさまざまな
数学的構造から見て取れるのがとても楽しい。
今も、様々な取り組みから、たくさんの数学的な構造が把握され、
生み出されている。
その様々な試行錯誤の結果、今の数学の格子が出来上がってきたのであれば、
その試行錯誤は、意味のないことではないのかもしれない。
この世界の意味や理由を求めて、この世界と対峙する。
今日もそのことを誰かが行なっているのだろうと思うと、少し、面白い。
