私にとっての救いについて

私の考えごと(note用)

記憶の断片を手繰り寄せ、意味のある物語に作り上げる。

 

どうやら私には、その能力があるらしい。

 

どこでどう間違って今の人生になってしまったのか、

どこでどのような選択をすれば今より良い人生になったのか、

それは分からない。

 

多くの人の願望が私の願望を遮るのか、

それとも、私の願望が他の人たちの願望を遮っているのか、

それも分からない。

 

しかし、私は、多くの人の中で生きている事を

自覚するようになって、たくさんの人が苦しみや辛さの中に

いる事を少し考えるようになった。

 

意味がある苦しみだけではなく、理不尽な苦しみや辛さの中で

生きなければいけない人の何をどう考える事が人として正しいのか、

それが少しだけ分かるようになれた気がする。

 

人として成長する事の意味や、一生という時間の中に

人として存在する事の意味とは何だろうか?

 

多くの人によって考え出された仕組みと、

多くの人が何とか生きようと捻り出した知恵や工夫で、

この世界は成り立っている。

 

「生きている事の意味や理由」は、その先人たちの培った歴史の中に

参加する事、その事の内にあるのかもしれない。

 

私はよく、「人を救うとは、どのような事だろうか?」と考える。

 

誰かの心の中にある明かりを消さないように、

そっと誰かを包み込めるように、他の誰かのために出来る事を

行えたなら、どれだけ素敵な事であるだろう…。

 

「人の中に生き、生かされ、その中で何を全うできるのか?」、

それは、当人にしか分からない事なのかもしれない。

 

きっと、皆どこかで繋がっている。

 

そのつながりの中で、どう私ではない他の誰かを生かす事が出来るか、

どう私のできる事を、私ではない大切な人に分け与える事が出来るか、

それは、私にとっての救いになり得るのではないか?

 

そんな事を、私は考えている。

 

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