排中律

数学の欠片

「正しいのはAかBか、そのどちらかだ」という

議論をする事は多々あるように思う。

 

証明を行なっていると、

このような分岐を伴う場面というものが

出てくる時がある。

 

そんな時の証明手法を排中律という。

 

高校数学で、その名をあまり聞きなれないのは、

その立ち位置を是としない立場があるからなのか何なのか

私には分からないのだけれど、排中律という証明に対する

考え方は、意外と使い勝手が良い。

 

例えば、証明をしている過程で

「Aという可能性」と「Bという可能性」に分かれた分岐が

生じるとする。

 

この時、仮に「AかBか、そのどちらか片方が正しい」とするなら、

「AかBのどちらか片方が間違っている」はずである。

 

この分岐を証明しようとするのであれば、

間違っていそうな方にわざと論を踏み込んでみると良い。

 

そうすると、間違っている可能性から証明を論じている訳だから、

矛盾した結論を得てしまう。

 

従って、その可能性が誤りである、故に、もう片方の可能性が正しい、

とする証明手法の事を排中律という。

 

私が、排中律に関して、意外と使い勝手が良いと思うのは、

この二股分岐が証明の中で結構な頻度で現れるからでもある。

 

もちろん、感覚的にも、

「AとBの可能性があり、その片方が正しくてもう片方は誤りである」

という考え方は分からない話じゃないように思う。

 

この時、「AとBの可能性があり、その両方の可能性が混在している」と

考える事も、感覚的にはできる。

 

ただ、私が古典的な証明をこなしてきて、

その可能性に出会った事は今のところない。

 

だからと言って、それが古典的な証明の範囲内に

絶対ないかと言ったら、それはどうか分からないのだけれど…。

 

また、私は、証明に関するあれこれについて、色々と考えていると、

それだけでも数学の真髄に触れているような、そんな感覚になる。

 

従って、証明の中で、どうその証明を成り立たせようかと考えながら

排中律を使っている時も、そんな数学の魅力に触れている瞬間

なのかもしれない。

 

故に、「この証明手法は立場上許せない」という方以外は、

この証明手法を方法論の一つとして身につけてみると良いと思う。

 

きっと証明の幅が、今よりグッと、広がるように私は思う。

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