理由

数学の欠片

数学の証明において、最も難しいと感じる事とは何だろうか?

 

「定理の成り立ち」を様々な角度から分析してみると、

どのようにしてその定理が成り立っているのか、それが理解できる

瞬間というものが訪れる。

 

この世に存在している定理の証明とは、

一歩一歩の積み重ねで出来ている。

 

その証明における一歩に対して、論理的な必然性が生じているとするなら、

その一歩には、その一歩を踏み出すための「理由」が、必ず存在している。

 

そして「理由」とは、論理の出発点である公理を含む、

今まで積み重ねてきた証明の堆積が根拠となっている。

 

その理由というものが何処からきているのか、

それをきちんと把握する事が、証明において、とても重要で

とても大切な事なのだろうと思う。

 

故に、数学における証明の一歩に関して、「それは何故なのか?」、

それを問う事がとても大切になってくる。

 

一歩一歩に対して、「理由」が存在している。

 

それは、日常では経験のないような事であるから、

少し戸惑ったり、悩んだりするだろうと思う。

 

普通、人は、たった一歩に対して

悩んだり立ち止まったりはしないだろうと思う。

 

けれども、その一歩に対して、どのような理由があるのか、

それを考えながら、論を進めるのが数学の面白いところである。

 

こんなふうに数学を眺めてみると、何気ない日常とは違う、

非日常の世界に数学という世界は存在している。

 

従って、日常が退屈に見える時や暇な時に、

「何故、この数式は成り立っているのだろう?」とか、

「何故、この証明のここからここへのステップが成り立つのだろう?」とか

その一歩ごとの理由を考えてみると、証明に対する理解が深まり、

きっと数学が魅力的に思えるようになるだろうと思う。

 

この時、その「何故なのだろう?」という事は、

たくさんの経験を積まないと、すぐには分からない事であるものだから、

もし、その事が分かるようになりたければ、ほんのひと時でも

数学の事を頭の片隅に入れておくと良い。

 

「証明には、一歩一歩に対して理由が存在している」、

それを理解できるようになると、数学がより楽しめるのではないか?

 

数学に関して、今日はそんな事を考えている。

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