本との出会い

数学の欠片

誠実に編まれている本との出会いは、

人生を変えてしまう力がある。

 

どのような人が、どう自分の本を編んでいるか、

それは本当の所、私には分からない。

 

ただ、いろいろな本をかいつまんで読んでいると、

どれだけその本の著者がその人にとって大切なものを理解し、

愛しているかという事は、何となく分かってしまう。

 

それは、この世界に数多存在している数学書に関しても

同様に言える事である。

 

大切にしている事や物であるからなのか、

愛している事や物であるからなのか、

人生を経て経験した事や物であるからのか、

それは私には分からないけれど、その人の人となりが

あらゆる本には表れている気がする。

 

私にとって数学書とは、

とても大切な物であるのと同様に

読むのがとても困難な代物だった。

 

けれども、大切に扱おうとする、

その本と真摯に向き合う、そうしているうちに

「証明を読んでみたい」との願いは、叶えられた。

 

証明を読み込む、そのために最も必要な事、

それは「誠実である事」だろうと思う。

 

読み込むのが困難な数学書であればあるほど、

自分自身の作意が通用しなくなってしまう。

 

そんな時ほど、一生懸命にひたすらに、

愚直に読み込もうとすると、その願いが叶えられる。

 

もちろん、ある定理の成り立ちや仕組みを理解したり、

構造を把握したりするという事は、頭で行なっている事

だろうと思う。

 

ただ、物事を深く理解し、その物事を自在に扱うためには、

とても苦しい瞬間というのも訪れる。

 

そんな苦しい瞬間ほど、誠実に歩みを進める、

気持ちを途切れさせないように前を向く、そんな心の持ち方が

とても大切になってくる。

 

「極めて貴重な定理であっても、人が創ったものである、

故に、自分自身に理解出来ないはずはない」と、そう言い聞かせる

瞬間も多くある。

 

もちろん、貴重な定理を理解し、自在に操れるようになると、

とても誇らしく、嬉しい気持ちが生じたりもする。

 

往々にして、学問を理解するという事は、

そのような事であるのかもしれない、とも感じる。

 

自分自身にとって大切なものを大切に扱う、

自分自身の姿勢に答えてくれるまで真剣に取り組んでみる、

それは、様々な物事を理解する上でとても重要な事だろうと、

そんな事を考えている。

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