ステップを踏む

数学の欠片

計算問題でステップを踏む、

その感覚が、私の中で証明を解く時、特に役立っている。

 

私は、証明を自分自身のノートか何かで反復する時、

「一ブロック」ごとに区切って整理する。

 

その「ブロック」ごとの区切りに整合していない部分が

あるかどうかを確認する作業が、証明問題に取り組んでいて、

とても難しく、とても面白くもある部分だろうと感じる。

 

証明のためのステップで大切な事は、

このワンステップごとのブロック同士の結びつきが

「自然かどうか」、だったりする。

 

例えば、「A=Bの時、A+1=B+1である」との感覚は自然である。

それは、言われてみると「そうだなぁ」と感じる感覚である。

 

これは、古典的な代数学的な操作として、

学校の中で日頃訓練された感覚でもある。

 

例えば、「A=Bの時、A+1=B+2である」との感覚は、

不自然と感じるだろうと思う。

 

これは、そんな代数的な操作を自然と思うような訓練を

日頃行っていないからである。

 

この、「自然である」という感覚は極めて大切で、

論を上から下へ組み立てる時は、この「自然である」との感覚を

連続的に上から下へ展開させる。

 

「自然である」、それは、極めて難しい事ではない

のだけれど、なかなか考えてみると奥深い事でもある。

 

どの様な事が「自然であるか」、その感覚の「違い」は

生きていると様々な場面で感じる事でもある。

 

従って、それは一概に「こういう事である」とは

言えない事であるのかもしれない。

 

ただ、数学に限って言えば、基本的な公理や証明された事実に

則って話が展開されるので、他の学問よりは、「これが自然である」との

感覚を共有しやすい。

 

また私は、基本的に古典的な技術しか持ち得ていないのだけれど、

「極めて貴重な定理であったとしても」、ごくごく小さな見立てや証明の

積み重ねの上に成り立っているものであるように感じる。

 

故に、小さなステップを踏むとか、

コツコツとやるべき事を積み重ねるというのは、

案外、理にかなった方法であるのかもしれない。

 

こんなふうに、私は、難しい「問い」に挑戦する時ほど

小さなステップを細かく踏む事を心がけている。

タイトルとURLをコピーしました