「数学の仮定」について

数学の欠片

今日紹介するのは、「数学の仮定」について。

 

私自身、高度な数学の理論書を読みこんでいると、

仮定が、常に「上段の位置」に書かれているとは限らない事

に気づく。

 

どこかには、書かれているのだけれど、

証明された命題や定理の下に書かれていたり、

命題や定理と分離されていなかったり、

サラッと何気なく書かれていたりする。

 

基本的に、証明というのは、

仮定と結論の「間」を埋める作業なのだけれど、

この仮定がどこに書かれているかを探す作業が、

数学書を読み込んでいて、結構、労を要する。

 

「仮定(論理の出発点)」を見つけさえしてしまえば、

そこから結論までコツコツと「論を導く」だけで良いのだけれど、

結論を導出するにあたって、どこが出発点か分からない状況が、

意外としんどい。

 

また、「仮定」というのは、結論がどの様な条件のもとで

成り立っているかを考え抜いた末に定めたものであると思う。

 

従って、どの様な状況を考えてその仮定を定めたのか、

それを意識すると、その仮定が存在している意味そのものが

よく理解出来るように思う。

 

私が、証明出来そうな定理を見つけたら、

『〇〇の時(ならば)、□□である』と、証明出来そうな定理の

フォーマットを固定させてしまう。

 

 

そして、それが何故成り立つかを考え抜く。

つまり、「〇〇の時(ならば)」と「□□である」の『間』を

考え抜く。

 

逆に、「□□なのは何故だろうか?」、それが数学書を読んでいて

疑問として生じれば、「こういう仮定が生じるからだろうか?」と考える事で、

「〇〇の時、□□であるのだろう」と推測でき、この間を埋められさえすれば、

自分自身の疑問に対して、証明が行える。

 

自分自身の疑問に自分自身で証明を与える作業も、意外と面白い。

 

数学の証明を行っていると、

「難しい」と感じる事も多いのだけれど、それは意外と

自分自身が知らなかったり、考えていなかったりする事が

含まれているからという事が多い。

 

上に記した事は、ちょっとしたコツなのだけれど、

数学上の技術として参考になれば、とても嬉しい。

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