理論の構想とその人の人となり

数学の欠片

私自身、数学や物理学が好きなので

その事に関して、少し思う事を書いてみる。

 

オイラーやガウス、ニュートンといった

綺羅星のごとく存在する天才達が燦然たる定理を

発見したり作ったりしている。

 

ある時代において、創作された定理や発見物を、

いじってみたり、眺めてみたり、自分なりに考えてみたり。

 

その中で感じる事は、

「定理の創作、法則の発見はその人の人となりそのものだ」

という事。

 

私は、どちらかというと意地悪なので、

その人の作品の無意識、深層を探ってやろうと

思ったり、考えたりする。

 

証明や発見の中には、「どうしてそんな事を思いつくのだろう?」

といったアイデアや着想、ひらめきがたくさん含まれている。

 

アイデア、着想、ひらめきは、

一つの時代を創った数学者、物理学者だけの

特権ではない。

 

その人の人生がとても困難な場合も、

とても優雅に人生を送っている場合もある。

 

様々な人との関わりの中で、人生を送っている人や

全くの孤独の中、人生を送っている人もいる。

 

私だったら、どのような作品や創造物を構想出来るだろうか?

私は、雰囲気や空気を、とても敏感に感じられる人でもある。

 

「この時代に、この持ち物で私は何を創れるだろうか?」

私は今、そんな事を考えている。

 

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